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闘病俳句や入院川柳 入院中に作った俳句・川柳・エッセイを一挙公開!
はじめに
今回の手術に際しまして、Iドクター、Mドクター、K師長をはじめ、看護師の皆さん、そしてスタッフの皆さんに心より感謝申し上げます。退院して三週間ほど経ちましたが、お陰様で順調に回復しています。
さて、17日間の入院中に、いくつか俳句を作りました。その俳句をまとめましたので、感謝の気持ちとともにお届けいたします。休憩室にでも置き、お読みいただければ望外の幸せでございます。
なお、俳句は推敲いたしましたが、川柳やエッセイもどきは遊び心で作ったもので推敲などいたしておりません。どうぞクスッとお笑いください。
俳句
入院の朝梅漬けのガラス瓶
万緑や聞けこの脈動の烈しさを
傷口へ薬師の指や百合の花
小松菜の震える箸を齧りたる
万緑や生かされてまた靴を履く
ドクターの手に神宿る夏のオペ
「順調」とふ医師に微笑む梅雨晴れ間
煮魚の白き味して梅雨に入る
万緑を揺るがすほどの鼓動かな
酸マスに頬の膨らむ夏の夜
点滴の花満開の梅雨入かな
夏の痰のらりくらりの喉仏
マスクずれ酸素抜け出る夏の夜
酸マスに涙の滲む夏の夜
夏の夜に喉駆け巡る酸素かな
夏騒ぐ酸素マスクの呼吸音
吸い飲みのありがたさを知る夏の夜
酸マスに口岩石の夏の朝
もう二度と酸マスしないと決めた夏
蒸しタオル顔いっぱいに夏の朝
背中拭くタオルに清し麦の風
ふらつきもなきリハビリの梅雨晴れ間
入れる管出す管夏のすれ違ふ
一つだけ管の抜けゆく梅雨晴れ間
機器外るだけで身軽き夏至の朝
モニターへ五人の眼差し光る夏
押しピンとふカメムシのゐるICU
咳払ひして一吸いの冷麦茶
真夏日に快適過ぎるICU
伸びたるも短きを愛で冷素麺
また一つ管取れし日の冷素麺
白粥の夏一掬ひ一掬ひ
莢捨てて飛び出すものもゐるオクラ
ガラス器に二粒残るオクラかな
自呼吸で背中押したる昼寝かな
ドレーンとのお別れの日の冷奴
ICUのカオスを泳ぐキャベツかな
インゲンのゆでジャガイモを彩りぬ
日焼け手に点滴の針花盛る
ドレーン抜き体の軽き梅雨晴れ間
ICUの壁に浮きたる夏模様
幾たびも外の暑さを尋ねけり
冷たさといふおいしさに逢ふ麦茶
もも肉にレモン染み込む梅雨の夜
腫れている自分の体を拝む夏
心臓を作る昼餉の赤トマト
ICU出て病棟の夏の雲
足先を温めてゐる夏布団
暑き夜に擦られてゐる足の先
秋待つや錠剤舌へ一つづつ
心地よき声をいただく夏の朝
縫合の跡覗き見る夏の雲
ガラス器に四角に切らる南瓜かな
一片の雲の縦断夏の窓
夏河とイオンと鳥居と飛行場
園児バス二台通って梅雨上がる
横たはる戦傷兵のごとき夏
夕焼けに転がす足の冷たさよ
看護師の昔話に明け易し
あんなにも黒き便出る夏の朝
四方太忌や鉄分補給の黒き便
鉄線を潜り飛び立つ夏の鳩
澱みたる夏河にある川の澪
雨上がり虹膨らます水平線
黒南風や北へ北へと貨物船
水平線夏の山まで上げてみる
梅雨晴や色取り戻す日本海
夕焼けに浚渫クレーンの早帰宅
梅雨空に一点白き波頭
夏河をぐるり廻りて投網かな
紫陽花や病弱の児の車椅子
紫陽花の車椅子より高き房
嬉しゅうてメロン皮まで食ふてみる
梅雨空を潜り降り立つ機翼かな
川 柳
納豆とお別れをして入院す
へその緒の名残りも取りし手術前
ICU看護師みんな愛知るYOU
HCU看護師みんな叡智知るYOU
大手術五秒で終わる麻酔かな
無機質のICUに溢る愛
踵より巻く包帯の温かさ
真夜中の酸素マスクにあっぷっぷ
ICU日にちと時間分からへん
病院食ふらつきありて食べられず
四十分かけて半分食べにけり
ブイ・クレスジュースの美味し筒もよし
阪神戦初めて見ない手術の日
病院にテルモの機器が目白押し
聞きなしや酸マス機械の「カケロスグ」
泳げません三途の川はまた今度
泳ぎ切れず三途の川を逆戻り
ありがたやナースの選ぶ本三冊
カロナール茶色でなくてよかったね
味の濃きヤクルトを飲み咳込みぬ
吸い飲みを作った人に感謝せし
ICU声のかけ方一つにて
手術後に新聞読めるありがたさ
イレギュラーの顔を抜け出る酸素かな
酸マスを付けて気分はパイロット
酸マスは洗濯ホースに似たりけり
もう一夜酸素マスクと戦へり
消毒後秋刀魚の如くあおがれり
痰を取るティッシュのやうな人もゐて
老いぼれがちんちんに管挿してゐる
リハビリや二足歩行の首痛む
痰といふ小僧が喉にのらりくらり
「生食」に「生牡蠣」思ふICU
うらやまし怒鳴る必要なき職場
教え子と三十年後のICU
窓に置く古通信に立つ光
あの頃の学級だよりに大夕焼け
聞き耳を立てても用語分からない
潮騒の音にも聞こゆ機械音
病棟の少し翳りて雨催ひ
点滴の管に割箸からみたる
パイプ吸うごとく気取って吸引器
採血でまた一週間の始まりぬ
ひげ剃ってウーマンダムのICU
感謝して食べれば肉となりにけり
人参やまあるく切ってジャパンジャパン
貧乏な学生時代の重さかな
看護師の昭和を語る顔美し
生かされて髭を剃りたるICU
病棟の鳩見習ひてうんこせし
白ご飯咀嚼で顎がだるくなり
デザートは十一種類の飲み薬
指輪なき薬の指を少し曲げ
遺書らしきものも仏間に置きにけり
洗髪の水も漏らさぬプロの技
着陸機イオンの屋根を掠めけり
七日目に初めて覚ゆ「腹減ったあ」
連絡先ある嬉しさや手にスマホ
テーブルにお茶と尿瓶が両隣
看護の手薬師如来の施無畏印
物価高?夕食四分の一バナナ
夏なのにお昼のチャイム「冬景色」
退院に覚えきれない飲み薬
壁一枚外旅話おら薬
ワーファリン心の傷もさらさらに
痛風もおまけにもらひ退院す
無呼吸もおまけにもらひ退院す
病棟に忘れ物して退院す
三週目痛風まだまだしびれてる
短 歌
麻酔して五秒で終わる大手術華岡青洲大恩人なり
もう三日経ったと間違う手術後のICUの第一日目
横たわるICUの一丁目一番地にて再生する俺
遠近(おちこち)にテルモの機器あり北里柴三郎の功
動脈より採血をする指先の白く変わりて涼しかりけり
移動式レントゲン機に胸曝しキュリー夫人の偉業を思ふ
ささやきと手の当て方と眼差しと誠に誠に医は仁術なり
心カテの3Ⅾ画の心臓に祈りの千手観音を見る
「幸せの結末」の曲のイントロの出だしに似てる機械の出だし
ICU出て病棟の夏雲に一羽の鳥の飛べるを見ゆる
手術後の全管取れし解放感長女文恵の誕生の日に
エピソード 1 不思議体験 浮かぶ画像
手術後、ICUに一週間横たわっていた。三日目か四日目辺りであっただろうか、目を閉じるとある画像が浮かび上がってくるのであった。起きているのだから夢ではない。パソコンの画面で見るような風景画像なのだ。しかし、その画像は決してきれいな画像ばかりではなかった。
例えば、茶色い泥土の中に人が隠れ潜んでいる画像。この画像は四月に心臓カテーテル検査で入院した時も見た。不思議な画像であった。また、黄色い壁で手前に大きな黄色い風船が浮いている画像。サッカーの練習画面、トンボの静止画面、野球のホームラン保護ネットの画像、収穫をした野菜を並べた畑の画像。はっきりと思い出すのはこれらの画像だけだ。これらの画面が繰り返し出てくるのだ。ドローンでゆっくり撮影したような画面だ。潜在意識の中にある何かが作用したのであろうか。
目を開けると、ICUの天井が見えた。目を閉じると、また画像が浮き出てくる。誠に不思議な体験であった。残念ながらあの子は出てこなかった。
エピソード 2 不思議体験 新聞の字
六月十三日、手術後一日目。夕方、家内が読売新聞を持ってきてくれた。
タイガースファンのおらが、宿敵である読売新聞をとる理由は「編集手帳」「よみうり寸評」「四季」が面白いことと、中立な記事が多いこと、読み応えのある特集記事があることなどが理由である。
ほとんど食べられなかったが、夕食後、読売新聞を広げた。不思議な体験はその瞬間に起きた。なんと、新聞の小さな字が読めるのである。眼鏡なしで読めるのである。こんな感覚は忘れ去ってしまっていた。黒々とした新聞の小さな字が読める幸せをかみ締めた。心臓の手術をして視力までよくなったのである。こんなに有難いことはない。手術をして本当によかったと思った。
しかし、残念ながら眼鏡なしで読めたのはこの日だけだった。翌日からは、いつも通り、眼鏡をかける生活に戻った。なぜ、あの日だけ読めたのだろうか。誠に不思議である。
家内を見ても何も感じなかったことは内緒である。
エピソード 3 不思議体験 肺マッサージ
ICUにずっと横になっていた。同じ姿勢でい続けるのはかなり辛いものだ。寝返りまで行かなくても、少し体を動かしていただくだけで嬉しかった。
三日目か、四日目か、酸素の数値がなかなか上がらない、肺に水がたまっているような状態、そういう状況らしかった。肺気腫で死んだ祖父の顔が頭をよぎった。そういう時に、ある看護師さんが「肺マッサージ」をしてくれたのだった。右を下にして、背に枕を入れ、左の肺の辺りをさすってくれた。気持ちよさに感謝した。
やがて、マッサージは終わり、看護師さんは出ていった。しかし、誰かが引き続きずっと肺マッサージしてくれているのだ。「はて、誰?看護師さんは出ていったよな。誰が押してくれているんだろう?」振り向くと、誰もいない。そして、おらははたと気づいたのだ。枕だ。背中に当ててくれた枕がおらを押してくれていたのだ。おらの呼吸が枕を押す。枕はおらの肺を押す。枕を生かす看護師のプロの技なのだ。昭和時代に会得された技であろう。おら心臓の辺りが熱くなった。涙が出た。
エピソード 4 北里柴三郎
岡野雅行、サッカーの野人岡野雅行ではなく、岡野工業の岡野雅行をご存知であろうか。痛くない注射針を開発した町工場の社長さんである。(岡野工業は後継者不足から廃業)蚊は刺してもいたくない、ここから発想して痛くない注射針「ナノパス」を生み出した。共同開発に当たったのがテルモだ。
この痛くない注射針かは不明だが、点滴のための針を刺されても全く痛みを感じさせない看護師さんがいた。上手いもんだ(まあ、逆もいたが)。両腕に、多い時で六ヶ所ぐらい点滴の針が刺されていたのではないだろうか。おらの腕は点滴の針が花盛りであった。
ICUの中を見回してもテルモの機器が多い。テルモは、体温計、血圧計、血糖測定器等の医療機器分野で大きな社会貢献を果たしているのであろう。その創業者はなんと北里柴三郎だ。最近、よく聞く名前だ。新千円札の顔だ。千円札を見るたびに、細菌発見の功績だけではなく、テルモや注射針や今回の手術を思い出すことであろう。北里柴三郎にも感謝しなくてはならない。
エピソード 5 華岡青洲
アメリカのシカゴにある世界外科学会栄誉館に、一人の日本人医師が顕彰され展示されている。現和歌山県の医師、華岡青洲である。一八〇四年、全身麻酔により乳癌の摘出手術を成功させた人物である。欧米での全身麻酔成功例は一八四六年、それより四十二年も早い。日本人はすごいね。
今回の手術で全身麻酔にはとても興味があった。当初酸素マスクのようなもので麻酔が行われるものと考えていた私は、後で、点滴で行われることを知りたまげた。あの日、いつから麻酔薬が入ったものか、手術室に運ばれ、始まるなと思ったが最後、後は何も覚えていない。本当に全く痛いも痒いもない、羞恥も恐怖もない、何もない空白の時間。仮死状態だったのかも。約八時間後に、池田ドクターの「終わりましたよ」の言葉で麻酔から醒めた。五秒で大手術が終わった、そういう感じであった。本当は、その前に色々と反応を見ることも行われていたそうであるが、それも記憶にない。麻酔はすごいわ。
ありがとう、華岡青洲。一度、和歌山県紀の川市の記念館を訪れてみるか。
エピソード 6 キュリー夫人
ICUにいるとき、毎朝、レントゲンを撮られた。おらが動くのではなく、レントゲンが動いてくるのだ。おらはそのレントゲンに向かい胸を曝すのだ。その時、キュリー夫人の功績に感謝するおらだった。
キュリー夫人は、二度ノーベル賞を受賞している。それもすごいが、第一次世界大戦中に移動レントゲン車を作り、約百万人の兵士に治療を施し、多くの兵士を救ったとされる。それが強く心に残っている。放射能を人類に生かした例だ。
だから、毎朝の移動レントゲン機が来るのは楽しみでもあった。撮るとき「ハイ、チーズ」ではなく「サンキュウリー」と心の中で言っていた。
博識でしょ?何ということはない。手術前の六月一日、テレビのムービープラスで偶然「キュリー夫人」の映画を見たからだ。移動レントゲン機と聞き、映画の戦争場面が浮かんだ。
よくなったら三朝温泉に行くか。胸にラジウムが効くかもしれない。
エピソード 7 心地よき声をいただく夏の朝
入院中、たくさんの看護師さんにお世話になった。そして、たくさんの話をした。付き合って下さりありがとう。毎日のように担当が変わるのにも理由があるのであろうが、おらは十人十色のウオッチングを楽しんでいた。
看護師さんにとって、患者への声かけはとても重要な要素であると思う。特に注目していたのは声の音程。「ソ」や「ラ」の音程は気持ちよかった。
朝一番の明るい声はおらも心が弾んだ。会話の途中でも、勇気づけの一言は心に沁みた。何気ない一言に元気をもらった。退院が近づいてくるともっと話を聞けばよかったと後悔もした。
「いただきます」は食事のマナーで「命をいただく」ことへの感謝の言葉ではあるが、入院途中から「心地よき声」も「命をいただいていること」なのだと気づかされた。
命の瀬戸際で奮闘され、一隅を照らし続けるスタッフの皆さん、本当にありがとう。
プロジェクトx!
おわりに
もっと書きたいとも思うのであるが、まあ、この辺で。
新しい命をいただいたと思い、パキパキと鳴る機械弁の心臓を労わりながら、充実した人生を送りたいと考えています。
皆様、本当にありがとうございました。